長崎大学首席入学からシンガポール留学、そして独自の事業立ち上げに至るまでの挑戦。コロナ禍を機に多角的にビジネスを展開し、持続可能な水産業に革新をもたらす株式会社Booonの創業の背景とは?本インタビュー記事では、前後編に分けて、長崎のスタートアップシーンで輝く彼の成功の裏にある成長戦略を探ります。◉プロフィール株式会社Booon 代表取締役 橋爪海さん福岡県太宰府市出身、26歳。久留米大学附設高校を卒業後、長崎大学経済学部に首席入学。学部3年次に文部科学省トビタテ!日本代表プログラム奨学生としてシンガポール留学。現地での長期インターンの経験を経て、帰国後中小企業と学生のインターン協創事業にて起業。コロナ禍で地域企業とシェアハウスや通販事業、BSL2の立ち上げなど幅広く展開した。幼少期を海外で過ごしたことから地域に根差した食文化に強い関心を持っており、長崎での極めて鮮度の高い魚を獲る・食べる経験や自身の名前が「海」であることから、持続可能な水産業のあり方や日本の水産資源に対して理解・課題感を抱き、長崎大学発ベンチャーPUKPUKを創業。さらに、水産業における飼料価格高騰を危惧し、スピンアウトで株式会社Booonを創業。現在は経営の傍ら、長崎大学研究開発推進機構FFGアントレプレナーシップセンター職員として後輩起業家の育成にも携わっている。高校時代の原体験と起業家への意識文化祭出店での学びと起業家に対する考え方起業の原体験というものはありますか?高校の文化祭です。焼きそば屋をやったんですが、出店場所も良く田舎町の文化祭ながら全体で30万ぐらい売り上げて「これが事業を作るってことなんだ」って原体験になったと思います。みんなで事業を作り上げていく様子が楽しかったんです。出身校である久留米附設高校は孫正義やホリエモンという著名起業家を輩出していますが、当時起業家への憧れや意識はあったのですか?全く意識はしてなかったです。「起業」の「き」の字もなく遠い存在でした。王道ルートを突き詰めた人がすることだなって勝手に思っていて「僕じゃないな」って思ってましたね。高校では数少ない文系だったんですが、それは他の文系進学者が言葉遊びに秀でたメンバーで面白そうだなというのと、学部による職業選択の制約が少ないので将来の可能性を広げるためでした。当時はディベート部に入って、弁護士を意識してました。大学時代の起業への転機留学経験と初の事業立ち上げ大学時代に起業したきっかけを教えてください。第一志望に落ち、街から通いやすいからという理由で長崎大学に進学したのですが、他の大学へ編入するために、人が変わったかのように独学でめちゃくちゃ勉強をしてたんです。けれど倍率は10倍近く受験した2校共に不合格で、しかも合格発表の前日に当時付き合っていた彼女に振られて、完全に心が折れました。負けグセが付いたなと思い心機一転に、2月に彼女の出身地、北海道よりも寒いロシアのバイカル湖へ行き、氷に覆われた湖上でふんどし姿で写真を撮りました(笑)モンゴルではタクシーの運転手のゲルに泊めてもらったり、旅先での出会いもあり、アジア人、日本人としてアイデンティティの自覚も生まれました。幸い勉強に打ち込んでいたおかげで2年までに卒業単位のほとんどを押さえており、時間にも余裕があったため、長崎で学生だから出来ることをしようと思いました。「外国人労働者の受け入れ環境の整備について」をテーマにトビタテ!奨学生としてシンガポールへ行き、HR系の日系企業の現地支社でインターンシップとして働きました。そして帰国後、地域の中小企業が採用において閉鎖的な点を危惧し、以前から温めていた「中小企業が社内で学生インターンを受け入れる制度」を企画する会社を作りました。長崎で時間と環境的な余裕があったからこそ、会社を作る決断ができました。シベリア鉄道で傷心旅行↓ふんどし@バイカル湖↓初めての事業学習ラウンジとPCR検査場の設立最初はどんな事業をしていたのですか?所属していたNPOで地元の中小企業さんに向けた事業ピッチを行う機会があったのですが、ネットカフェを運営している会社さんから声をかけてもらい、学生と中小企業の交流のための学習ラウンジをネットカフェの一部スペースを間借りして始めました。しかしコロナが始まってしまい、休業を余儀なくされてしまったんです。そこで何をしようかと悩んでいた時に、トビタテで出会った当時26歳の研修医と再会しました。彼の熱意に押され僕も事業を手伝うことになり、大阪市のスクリーニング検査を委託で受け、資本金4万円の会社ながら月に数億円の売り上げを立てていました。もうとてつもない上昇気流で事業が立ち上がっていく様を見ましたね。長崎でのスタートアップスタートアップとの出会い長崎でスタートアップを始めたきっかけはなんですか?京都にもPCR検査場を作ろうとリサーチしていた時に、借りたテナントの数軒先で開業されている医師の方に開設を止めるよう言われました。長期の議論に及んだのち、「あなたがこの土地でやる理由って何ですか?」と聞かれたときに、答えられなかったんです。この事業をやることが、経済の早期回復に繋がると信じていた僕にとって、実際の地元の方に「必要ない」と言われたことが大きな衝撃でした。撤退も考え気が滅入っていた頃に、たまたま京都に出張でいらっしゃっていた長崎大学の教授に誘っていただいた会食で「地域でやるなら相手が納得するまで1年も2年も説得しないとダメよ」と地域で同じく地域のための事業を志す方にも諭され、僕はその気がなかったんだどいうことに気付きました。この会食で「長崎大学FFGアントレプレナーシップセンターを手伝わない?」と教授に誘って頂き、起業家教育のサポートを始めました。教授のツテで面々たるスタートアップ経営者が登壇される講義に立ち会うことができ、実際にお話をする中で経営者の言行一致の様を見て、感化される日々でした。この時、はじめて「僕もスタートアップやろう」と思ったんです。水産業への関心地元産業への取り組み水産業に目をつけたきっかけはなんですか?長崎に戻って次に何をしようかなと考えてたときに、「なんであなたがやるの?」という言葉を思い出しました。「せっかくやるんだったら、お世話になった地元のためになることをやろう」と思った時、僕の名前が「海(かい)」というのもあって、長崎の水産業が頭に浮かびました。実は呼子のイカや下関のふぐの多くは長崎で養殖されているのですが、長崎としてのブランドは確立されておらず、認知度が低い状況なんです。そこで、長崎の水産業の強みを活かした、県外や国外にも広がるようなプロダクトを作れないかなと思って始めたのが、閉鎖循環式陸上養殖ユニットを作る会社PUKPUKでした。※陸上養殖ユニット - 海や川を使わずに陸上で魚や海産物を育てるための設備。水槽や循環水システムを使い、温度や水質を管理しながら、環境に配慮した持続可能な方法で養殖を行う。株式会社Booonの設立養殖業界への新たな挑戦そこからどのようにしてBooonが始まったのですか?PUKPUKは最初3人で会社を始めたんですけど、最年少ながら僕が社長に手を挙げたこともあり、フルコミットできるのが自分だけだったため、事業に全力で取り組んでいました。しかし当初、よかれと持ち株を3等分してしまい、さらに外部資金も入っていたことで、VCから見ると社長の意思決定が通じない、スタートアップの資本政策的には失敗した状態で会社ができてしまったんです。助成金も獲得し経営的には順調でしたが、実際にその懸念を実感する出来事がありました。しばらくして技術的な問題があってピボットを迫られていました。その時僕は養殖業界の最大の課題が「餌が高騰しすぎて養殖できない」だと分かり、そこに大きなニーズがあると思ったんです。でも僕が提案した昆虫飼料事業は取締役会では受け入れられませんでした。けど僕はどうしても必要性を感じ、別の会社を立ち上げることにしました。それが株式会社Booonです。そこで長崎大学の先生方に「一緒にやりませんか」と声をかけたら良い反応をもらい、サポートもあり、そこからは順調に進み始めました。ビジネスの種はどんなところから始まったのですか?水産業では作り手の人件費って3〜4%で、生産コストの7割が餌代なんですよ。とんでもないコストを餌代に使ってるんです。その餌代が近々の1年間で1.5倍に高騰しているのを知り、本当に困っているのが分かりました。作り手って職人で、良いものを届けたいという思いが強いので、餌にもこだわりたいんです。でも値上げには逆らえないんですね。なので、作り手のことを考えたらまずは餌からやろうと思い、この事業を始めました。Booonの一年目。設立後、橋爪さんはどのように事業を進めてきたのでしょうか?そしてこれからの展望とは?インタビューは【後編】に続きます!後編:https://nami-kaze.net/news/booon2(編集:富谷 インタビュー:波止、原口)